nostalgic-showa’s blog

ノスタルジックの世界へ

草レースに

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1シーズンが終わり
何時からか!?友達の誘いであるショップのチームに入る事になった
走るコースも大井松田から富士サーキットに変えていた

西谷レーシング主催のレースは
ノーマルでもタイヤだけ変更が可能なカテゴリーであったので
それまで限界だった走りも安全性が高まった

この頃か!?ヘルメットをアライに新調し
革ツナギ・手袋・ブーツとフルセット揃えていた

台数は多かったが初回の成績は6位と振るわなかった
何故なら・・・
ニューバイクの新発売ラッシュで!
チャンプやビート!・・・薔薇?など
他車は!ドンドン速くなってブレーキも効く様になっていた
長いバックストレートの登り坂では
スピードが明らかに違い過ぎる
幾らコーナーを速く回っても置いていかれた

 『これじゃぁ勝てない!』

っとオーナーに相談したところ
 ”セッティング?を出せば・・・??”

JOGのピストンは中央部が凹んでいて
それをパッソル桐僂吠僂┐襪海箸砲茲
コンプレッション!圧縮がUPし
速くなるであろう?っと言うものだった

交換して走るとフケ上がりが悪い
そこでメインジェットの穴をドリルで大きくした
また走ってみると・・・今度は“カブリ気味”
今度はエアークリナーの裏に小さな穴を開けたら

これでいい具合な走りをする様になった
ついでに外装もチームカラーに塗ってもらい
この頃から車で運んでいたので
日常は乗らず本当のレーサーみたいだった

いざ!サーキットへ

もうひとつ・・・
スクーターレースではブレーキングとアクセルワークが鍵を握った
アクセルを開けてもすぐに加速する訳ではないので
その”タイムラグをどうするか?”が課題だった
止まりながら次の立ち上がりの為にアクセルを開けていく
バイクの場合!アクセルと前ブレーキは同じ右手で操作するため
それを一度に調整しなければならないので
難しい操作になる

そこで!アミ出したのが・・・
前ブレーキと後ろブレーキを逆さにすること
仕組みは簡単で!ワイヤーを入れ替えるだけのものだった

これで完璧!
登り坂でも・・・何とか!?ニューフェィスに置いて行かれないようになり
右手でアクセルを煽りながら回転を落とさないようにして左手でブレーキング
より速く立ち上がれるようになった

乗り方も改良されていた
スクーターの場合!車体を倒し過ぎるとエンジンのクランクが先に設置してしまい
それにより後輪が浮いてコケてしまう事になる
それを回避するため!車体を倒さずに
体の重心を内側に落し
やはり!レーシングライダーのような走り方が相応しいかった

それも走るごとに練れ次第に熟知して
自分のモノにしていった

草レース(ミニバイクレース)も空前の大人気となり
参加台数も多くなってきた
その頃には予選も出来るようになり
ノーマルクラスだけで135台いた時には4クラスに分かれて
その上位10台が決勝に昇って勝敗をつけた

その135台の時には
1位とはいい勝負をしていたが
ちょっとのところで抜けず
2位で終ってしまった

その時か!?どうかは忘れたが
4耐で走っていた大島選手がゲストで呼ばれ
ビートだったか?それで出場した

下りの逆バンクっぽい左コーナーを攻めてたら
そのアウトから差してくる奴が・・・
それで“アっ!”と言う間に追越され
次のコーナーで曲がなかったのか?その手前でコケた!
すぐさま!バイクを起こし
また!追って来て・・・すぐ抜かれた


まざまざと!各の違いを見せ付けられ

 『やっぱ!違うな~!』

っと思い知らされるのであった

馬入の河原にもコースが作られたので
行って!フリー走行を楽しんでいた時に
目の前のバイクにコケられ
それを避けきれずに同じくコケてしまった

それでフロントホークを曲げてしまい
その後!車に行ってしまったため
修復せずに廃車となった

ノービスに出ようと準備していた
バイト時代の奴も
通勤途中で事故ってしまい
バイクは乗れなくなってしまった