nostalgic-showa’s blog

ノスタルジックの世界へ

エンスーへの道

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自分の生まれる前に造られた車を操っている
しかし、そのフィーリングは多少の古さを感じさせるもの
そう年月が経っているようには思えなかった


ショップのクラブチームにも入り
月一度のミーティングやちょっとした走りに参加して
カーライフを楽しんでいた


その頃・・・愛読していた雑誌は
”CAR MAGAZINE”(カーマガジン)であった
古い外車を取上げることが多くその情報も沢山あったからだ

その記事の中に”JCCA  クラッシク協会”主催のイベントがあった

年代的に適合するのが解り
その仲間入りがしたくなり会員になることにした

その後!
汐留で行なわれた”ニューイヤーミーティング”のパレードに参加したり
富士スピードウェイで行なわれた富士ジャンボリーに参加

富士ではフリー走行にエントリーし
”富士名物”である”あの長いストレート”を・・・
出てるか?出てないか?解らない”90マイル”
メータースピードで駆け抜けた

 『長いな~!このストレート!遅いな~!このミニ!』

恥ずかしいくらい長時間!走っていた(止まっていた?)
最終コーナーでは登るのがやっと!
ビリになるは・・・周回遅れるになるはで!・・・

この走行の為に用意したツナギ!
予算がなかったため
古いデザインを真似して”自作”で造った


そんなこんなで!
一番満喫したのは・・・やっぱり!当の本人!?



筑波サーキットも走った

筑波では車内に”ビデオ”を設置して走る様子を撮ったりしていた


その帰り・・・
小金井街道を走っている途中
清瀬の踏み切りだったであろうか?
その踏切を渡った瞬間にブレーキのマスターが抜けて!
スコン!スコン!に~~~

 『ブレーキが効かナ~~~イ!!』

危険を察知!サイドブレーキでリカバーし止まった


夜8時過ぎで!ショップの人も迎えに来てくれないし
こんなところまで迎えに来てもらったら金も掛かる

・・・っと言うことで!
横浜に住んでいた姉貴夫婦に迎えに来てもらい
牽引して家まで運んでもらう事にした
万が一の為に牽引ロープは用意していた

サイドブレーキを使い
ギクシャクしながら・・・やっとの思いで自宅まで着いた
それはもう日が変わった夜中だったと思う


ある日!
そのブレーキを直すため
ショップの人に家まで取りに来てもらった
待ち合わせ場所まで迎えに行くと
クラブチームで一緒だった若い社員の人であった

余り話したことがなかったので
家までの道のり
いろいろと話していると

 『えっ!同じ高校!?!?』

なんと・・・”同じ出身高校”で”同じ年の卒業生”であった!

それから仲良くなり
良く遊びに行く様になった
今は共通の車ではないが・・・現在でも”良き遊び仲間”である